私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう?④」  スタッフM

かくして、例の女性が付き添い人となり、尻を叩かれるようにして墓参りが実現。水と線香だけ持って行ったざっとした墓参りでありました。

ところで、私のご先祖様、高知に落ち着くまでは知る由もなかったのですが、幕末に坂本龍馬とも親交のあった土方久元伯爵でした。譲り受けた掛軸のうち1本は同じもの(字の配列が微妙に違う)が佐川の青山文庫にあり、私の父がカメラにおさめています。また、久元の書の石碑が桂浜にあるばかりか、私の娘と息子が通っていた土佐市立高岡第一小学校の校庭の片隅に建てられていました。久元の墓は北秦泉寺のそこにはなく、土方家代々の墓とお世話されている関川家代々の墓が今も並んで建っています。

私が今、土佐の高知にいるのは何かの縁(おみちびき)か?

次回はこれの若干の軌道修正と東京で聞かされた祖母土方安亀の話、ファミリーヒストリー!!  つづく

    私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう?④」  スタッフM」への2件のフィードバック

    1. ご先祖様:「やれやれ、やっと気付いてくれたか。」
      とでも言われそうですね。
      次のお話しも何やらありそうで…。

    2. す…。凄い…。

      中岡慎太郎らと薩長同盟の成立に尽力し、明治20年第1次伊藤内閣の農商務相。同年宮内大臣となり,翌年枢密顧問官を兼任したっていうとんでもなく凄い方‼️

      日本史割と好きですが、まさかご先祖様にこんな凄い方がおられるなんてビックリです‼️

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