わたしの昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑭初酒」  スタッフM

私は極めて真面目生活を高校時代過ごしていました(ホンマちや!)。

酒は正月でも飲まんし、煙草も覚えなかった(ホンマや言いゆうがやろー!ちっ (怒った顔))。

弟2人は未成年のうちに両方やってしもうたんです。1浪している灰色の受験生時代、部活(生物クラブ)の同窓会というか新年会。顧問の先生にも来ていただき、祝宴。私たちは料理にジュース。先生方には熱燗1本を付けました。そのうち先生が怒り出し、「俺が払うから酒どんどん上げてこい!」ええーっ我々は未成年、しかも浪人中の受験生。

「アホ!高校卒業したら飲んでもええんじゃ」 その先生、指導課で、朝礼で厳しいことを言う役目にありました。酒に弱い同級生はかなりひどいことに、私はその時飲めることを知った次第。

先生からも「おまえ、いけるやないか、親父ゆずりやな(父は教員)」。 酒に開眼ビール

生物クラブの内では非常にやさしい先生、大好きな先生でした。鬼籍に入ってしまって久しくなります。 合掌。

 

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑬“かしわ“という名の幻の料理」 スタッフМ

高知大学受験後、香川大学に現役で入っていた高校の同級生のところに立ち寄りました(私は一浪)。

彼が住んでいたのは香大屋島寮。高松から屋島を経て志度に抜ける大きな道路はまだなく、工事中でした。工事現場に沿ってポツンと居酒屋があり、香大の学生たちで賑わっていました。

看板料理に“かしわ”というのがあり、アルミホイールで鍋を作り、鶏肉、キャベツ、ニラ、モヤシなどを山のように積んだものをガスコンロにかけ、鍋をつつき破らないようにして下から返し、火が通ったところで焼き肉のタレでいただくというものでした。

シンプルで後片付けもラク、蒸し焼き風になり、感動的でありました。

これを今でもよく作っていますが、ガサツな人間はアルミ箔をつつきやぶるので、普通の鍋で作っています。幻の料理ともいえる“かしわ”、誰か知っているかなー?50年以上も前のことやけんのー。

同級生も鬼籍に入ってしまいました。泣き顔

 

私の昭和、平成、令和「食べ物カルチャーショック⑫高知城のたこ焼き」スタッフМ

昭和46年3月、高知大学受験のため高知に足を踏み入れました。

受験会場は本学ではなく高知城近くの追手前高校でした。2日間の日程を終え、同じ宿に集まった仲間たちはすぐに帰ったり、本学を見に行ったり、桂浜に行ったりしました。私はどうせ合格しないだろうと思っていたので知り合った仲間と高知城見物をしました。

見物を終えて追手門から出て来ると、たこ焼きの屋台が出ていました。玉子入りと表示されていたので、これがこれが美味しいんやなと仲間で納得、そこで立ち食いでした。

よくよく思い返してみると私にとっては初たこ焼きだったと思います。実に美味しいと思いました。

私の世代ではまだマヨネーズを使っていなかったようです。

たこ焼きの思い出を胸に、高知駅に向かいました。

 

ひさしぶりのフィールド ~館長・Seana~

先日、私が所属する神戸の生物多様性を守る会が運営する
外来生物展示センター主催で南あわじへ行っていました。

ものすごく良いお天気に恵まれてたのもあるのだが
あわじの自然には本当に感動した。
三原ボーイスカウトのみんなといっしょに外来種について
フィールドで学ぶというイベントだったが
現地に行くと自然豊かというか、懐かしい独特の時間が流れる場所があった。

古くからある日本の時間がゆっくりと
令和の今も昭和とおなじように流れている。
集合場所が神社とお寺の境内というのも私にとってはとても新鮮だった。
その地を守る神仏が身近に今も存在しているというか
街の生活としてこどもたちに引き継がれていく日本の風習が
ここ南あわじには今もある。守っていきたい日本がここにある。
と、ともにまた自然もしかりだった。

ものの数分でこどもらが「捕まえた~!」と興奮気にやってきた。
見てみるとなんとタガメではないか!
ついつい「タガメやんか!!!!!」と大きな声が出た。
こんなに簡単にタガメと出会えるとは、南あわじの自然は素晴らしい。
その後もカワニナ、タニシやメダカなどを、これはたまるかといわんばかりに
たくさん簡単に捕まえてくる。
とくにカワニナを大量に採ってきていたことから、
この川にはたくさんの蛍が現代もいることが予測できた。

ジブリワールドのようなところだと感じた。
高知にも多くの自然が残されてはいるが、
高知とは違う自然がここ南あわじにはあったし、感じた。
こどもたちはボーイスカウトの団長から長くつを履くように指示されていたのだが
長くつの中に水が入っても平気で夢中になって採取していた。
境内で地面に座ることを汚くなるから嫌だ!と言っていた子たちとは思えない。

こどもたちが本来の姿で楽しんでいるのをフィールドで見るのは何年ぶりだろう。
コロナ禍ということもあるが、館長になってからはなかなか無いことだ。
やはり現場が一番で最高に楽しい。
高知では館長ということもあり、
現場には若手を出し経験をさせ次の世代につなげることが仕事でもある。
しかしながら、神戸での私は役職もなく諸先輩方と共に活動出来る。
学ぶということの楽しさを実感している。

私の昭和、平成そして令和(食べ物カルチャーショック⑪大やん) スタッフM

次なる大作を…とブチ上げときながら(準備はできとるんよ手 (チョキ))、いやしんぼとしてはまだまだ思い出したり浮かんでくるのでありますよ。小豆様のコメントにも触発されて、しばらくやめれんぜよがく〜 (落胆した顔) もう数回はやるのだわーい (嬉しい顔)

小学生の頃、校区内に「大やん」という店がありました。夏はかき氷、1杯5円!

学校が終わってからよく行きました。7杯食べた猛者もいました。冬はお好み焼き。

店頭でおばさんが焼くのはクレープ状に薄く、丸く焼く生地にキャベツ、天カスなどを盛り上げ、ちくわの薄切りをトッピング、玉子焼きみたいに折りたたみ、ソースをたっぷり塗り、経木に乗せて提供されるもので10円!店内では普通にセルフで焼くのもあり、どちらも楽しめました。女の子たちはソースでまっ黒にしたものをパンパンパンとたたき、ペラペラにして食べていました。

高級なお好み焼きなど知る由もありませんでした。年月が経ってから自宅でおばさんのお好み焼きを再現してみようと試みたのですが、うまくできたためしはないのですよもうやだ〜 (悲しい顔)

「食べ物カルチャーショック🈡 伊勢中川駅の立食い~中華そば」 スタッフМ

昭和45年(1970年)、大阪万博が開催された年、私は浪人生活を余儀なくされていました。自宅の松阪から近鉄の急行で名古屋まで1時間半かけて河合塾への通学でした。

大体、車内では古典を読んだりテキストに出てきた英単語を覚えたりしていましたが(本当ですよ)

同様にして通学する同級生たちと乗り合わすと桑名や四日市で途中下車して、ホームにあった立ち食いできしめんなどを食べたりしていました。とりわけ近鉄名古屋線と大阪線の分岐に当たる伊勢中川駅の立ち食いの中華そばは最も好きで、大阪方面の各駅停車に乗り換える友人に付き合って小腹を満たしたものでした。

灰色の浪人生活の中、ささやかな楽しみといえましょうか?

とりとめもなくくだらないことを書いてきましたが、嘲笑いされる前にひとまず終了します。次、大作行けるかなーボケーっとした顔

私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑨ケガニ」 スタッフМ

高知大の学生となり、1~2回生は寮生活、3~4回では、南国市立田での下宿生活でした。1人暮らしの気ままな4畳半₍実際は6畳)、前には小川が流れ、夏にはホタルが舞います。フォークな世界でした。寮生だった頃酒を覚え、呑んべえとなっていました。近くの小さなスーパーでケガニが格安の特価で売られていました。これを手に入れ、1升瓶を用意。炊飯器でカニを蒸し上げチビリチビリ(グビリグビリ?)。ついに一升が空いてしまいました。当然翌日は‥‥ ボケーっとした顔 アホじゃーっ泣き顔

北海道出身のモリタのおんちゃん(小栗さん)はタラバやズワイよりケガニが美味いと。異論は唱えるのが故、堀内氏。こちらはエガニ(ノコギリガザミ)派。身をほじくるということも醍醐味か?飲みすぎ注意、くわばらくわばらボケーっとした顔

私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑧シュークリーム」スタッフM

もうそろそろやめにゃいかんと思いつつ、思い出が友人たちとの会話にも出るので、しつこいですがもう少し、しつこいですがもう少し、私が子供の頃好きだったのはシュークリーム。

松阪では小ぶりのカスタードクリームが入ったものでした。小学5年の春休み。昭和38年頃でしょうか、祖母につられて上京。銀座にはヤマザキパンのカフェがありました。今では全国的に広がっています。

ここで親戚の人やいとこたちと集い、シュークリームを食べたのです。これが巨大で生クリームがいっぱい入った恐ろしく美味しいものでした。

私の中では最強のカルチャーショックでしたが、今はコンビニでもスーパーでも安価で手に入るものとなり、しっかり美味しいのですが、食べるのが下手な私はかぶりつくとクリームがボトッバッド (下向き矢印)  ダメだこりゃーボケーっとした顔

私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑦カキフライ」  スタッフM

思いつくままに食べ物について書いているうちに、数回どころかどんどん増えていきます。

特に食い意地が貼っているわけではないのですが、戦後の復興がどんどん進んでいく時代を過ごしたため、食べ物に対する執着みたいなものが身についたのでしょうか。

カキフライは好物でした。ただ、これを初めて口にした時の記憶はなく、広島や三重県の的矢崎のカキも食べたことはありますが、特にカルチャーショックを感じる事はありませんでした。

ここで取り上げるのは、受験生時代、東京の大学を受験するため、伯父宅に1ヶ月間ほど居候していた頃。夕食にカキフライをごちそうになりました。普通は中古濃ソースやタルタルソースでいただくもので、店に食べに行くと大体こんなものと思います。

伯父宅はちがっていました。何とカラシじょうゆなのです。「おじさんの家ではこうして食べるんだよ」と伯父が言いましたが、これにハマりました!

衣がしょうゆを吸って、塩分摂取量が心配ですが、自宅でカキフライを食べる時は私のみ、これでありますよ。まー、ためしにやってみたや手 (チョキ)

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑥はんぺんフライのカレーがけ」  スタッフM

時代が前後しますが、小学生時代、給食に出たおかずの話です。

私はみつまめ以外何でも給食が好きで、給食のおばちゃんたちに感謝の作文を書いたほどでした。中でもとくにすきだったのが白はんぺんをカツのようにパン粉をつけて揚げたものにカレーをかけたものでした。

今思うにカツカレーのようにフライにしたものとカレーは最高の組み合わせではないかと思います。有名カレーチェーン店ではカツカレーやビーフカレー、メンチカツカレー、カキフライカレーなどラインナップがそろっています。

昭和30年代の給食で、この魅力を味わうことができ、いやしんぼとしては大変幸せだったなと思っています。