私の昭和、平成そして令和「小津の社(もり)番外編①」  スタッフM

日清のチキンラーメンが世に登場した昭和30年代、私は小学生であり、リアルタイムで体験したことは前のシリーズ「食べ物カルチャーショック」で紹介した次第。

その後はもう1手間かけた出前一丁やサッポロ一番などの袋麺が登場し、チキンラーメンは1たび姿を消してしまった。

実際、私が寮生活をしていた頃もお湯をかけるだけのチキンラーメンはなく、本来なら鍋で作る袋麺が主流となっていた。

本来ならというのは、古いボロボロの木造の南溟寮(なんめいりょう)ではガスコンロなど火を使うものが禁止されていて、ラーメンは電気ポットで作っていたのであった。

脂でギトギトになったポットはもう1度お湯を沸かしてから洗い流していた。そのポットで酒も燗していた。

卒業後いつの間にかチキンラーメンが復活し、カレー味や味噌味などのバリエーションもあり、消えたと思ったが、現在ではしぶとく生き残り、若者たちにも受けているようである。生みの親である安藤百福氏も胸をなでおろしていることだろう。

    私の昭和、平成そして令和「小津の社(もり)番外編①」  スタッフM」への1件のフィードバック

    1. 昔の寮は火気厳禁だったのですね💦

      電気ポットが何にでも活躍しているとは凄いです✨️

      お酒の燗にはちょうど良さそうですね😃

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