私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑳大阪の餃子」スタッフМ

ギョウザという食べ物は実家で暮らしていた頃、時々食卓に上がりました。挽肉たっぷりで大好物でありました。

大学時代には帰省(三重県松阪市)する時は大阪出身の友人と一緒に帰ることがしばしばでした。大阪上本町から近鉄に乗るのですが、上本駅の近くにあった南海飯店というファミレス風の中華料理店につれて行ってもらいました。ここのギョウザは皮の厚いジャンボで具材もボリュームがあり、一発でハマるほど美味でした。

以後帰省する時にはこのギョウザとビールが定番でしたが、残念なことに店はいつの間にかなくなってしまいました。

大阪では別に「眠々」という店がありましたが、ここは逆に小ぶりでやわらかく、弁当箱に入れたものをひっくり返したようなものでした。味はすごく良く、チェーン店もありましたがよく入りました。

「王将」という店がありましたが、小さい店ですごい人だかり!ようやくゲットしたものの食べてしまうと「ハイ おおきにー」と皿を回収されてしまう始末。

今の大阪王将か餃子の王将のハシリでしょう。餃子は大阪でっせわーい (嬉しい顔)

    私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑲いわし論争」

    私がかつてよく行ったとある喫茶店。マスターが香り高いコーヒーを炒れてくれます。

    常連と思われるおばさんとの会話、大阪出身の方ということ。「何で高知はウルメなんやろか、マイワシの方が美味しいと思うのに…私も同感という部分もありました。マイワシはしっかり脂が乗っていて生の塩焼きでも干物でも言わずもがなです。

    金太郎イワシと名がついたものは絶品です。しかし、わが土佐市ではウルメを地元の名産品としてとり上げ、上手に干したものはふっくらとして美味で、知り合いの漁師のおんちゃんからいただいたものはマイワシとまたちがう味わいがあります。

    ところで、以前「どっちの料理ショー」というテレビ番組があり、アジ対イワシで対決したことがありましたが、イワシの塩焼きがとどめをさし、勝利しました。ブラウン管(当時)からも香りがくるような気がしたものです。また、RKCラジオの「ぶちぬきフライデー」ではアジ対サバの対決で、サバの勝利でした。アジ、よっわーーもうやだ〜 (悲しい顔)

      私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑱とんちゃん秘話、とんでもない味付け」 スタッフМ

      少し年輩の方なら高知の夜の町の名物店「とんちゃん」をご存知のはず。私も学生時代から親しみ、卒業後もしばしば足をはこんだものです。

      「桂浜来たかね」と店の人に声をかけられるほどでした。店がたたまれる時にはご常連が行列となり、私ごときが…と遠慮させてもらいました。

      「とんちゃん」について語るのはおこがましいのですが、行けばまず必ずニラ豚と銀なべなる料理を注文しました。ニラ豚は大きな鉄板でバターをたっぷり入れ、豚とニラを炒め合わせ、秘伝のタレをまとわせたもの。

      豚は「とんちゃん」通に語らせると豚の腸だ、いや耳だとはっきりしない、コリコリとしてスルメのような感触でありました。

      鉄板で炒めるのですが、よく観察していると口からよだれが…!シュッと音がしてそのまま炒めるのでありますよ、客は一切気にせず。えーい、アルコール消毒じゃわーい (嬉しい顔)という感じでおばあのよだれ味を有難くいただきましたとさ。保健所ーーーー!!!

       

        私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑰唐揚げとスタンド天一の鳥の足」  スタッフМ

        日本唐揚げ協会によると…こんなんあるんやげっそり (顔)、唐揚げの定義は鶏肉をタレに付けこみ、さらに味のついた粉をまぶしてあげたものだとか。

        私の好きだった唐揚げはほとんど味つけしてない肉に片栗粉(と思う)をまぶして揚げたもので、かつて土佐市の喫茶店で定食のメニューとなっていました。鶏肉の旨味がじわじわと伝わるものでしたが、前途した協会によるとこれはフライドチキンに分類されるとのこと。

        話変わって、私の学生時代、そして独身時代によく行っていたスタンド天一という店が高知市洞ヶ島にあり、老夫婦が作る鳥の足は絶品でした。

        骨付きのもも肉をじっくりと素揚げし、揚がったものに味の素をかけて提供、自分で塩なりコショウなりをふりかけてかぶりつくものでした。

        皮パリパリ、中ジューシー。リーズナブルな価格で最高でありました。自宅でも揚げ焼きで挑戦しましたが足元にも及びません。今は前歯が抜けてかぶりつくこともできず、これも幻の味となってしまいました。泣き顔

          私の昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑯ナマコ」 スタッフМ

          ナマコを初めて口にしたのは記憶にありません。吞んべえだった父が”コノワタ”というのを食べていたのをつまみ、「何じゃこりゃー気持ち悪い」というのが第一印象でしょうか。その後口にすることはまったくなかったのですが、大学卒業の頃、部屋の追い出しコンパでナマコそのものの切り身が小鉢で提供されました。珍味というよりは普通に美味しかったのを覚えています。

          ただ、後で思い返してみるに、アレは人間の持っている味、すなわち鼻水や鼻クソの味に近いから美味しいのではないか分析するに至ったのでありますよ。生理的食塩水みたいなものではないでしょうか。

          ナマコは魔性の味と解釈したのですが、その後もたまに口にしますが、鼻水鼻クソと結びつけることはありません。

            私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑮カツオ」 スタッフМ

            高知といえばカツオ、カツオといえば高知。何も言うことはないでしょう。

            私の故郷、三重も熊野灘や南紀のカツオがありましたが、大阪、京都、名古屋などに運ばれ、松阪市にはいいものがなかったようです。魚屋が御用開きに来て「今日はええカツオが入ってますんや」ということで大皿を届けてもらうのですが、色が変わって生臭さがあるため、わさびではなく練り辛子がついてくる始末。

            私はそれでも良かったのですが、呑んべえの父はお気に召さなかった様子。もっぱらマグロでありました。

            高知でカツオが美味しいと思ったのは喫茶店の昼の日替わり定食に刺身が出て、わさび、にんにくとご飯。最高に会いました。かつて実習生をさそって飲みに出たところ、刺身をすすめると「刺身はやっぱりご飯で」。目からウロコでした。刺身には日本酒という吞んべえはあかんぞちっ (怒った顔)

            私も呑んべえのはしくれ…もとい、吞んべえのベテランじゃーき、美味しいカツオにはご飯!日本酒には他の何でも合わせりゃーえいきに。「酒場放浪記」何をか言はんやもうやだ〜 (悲しい顔)

             

              わたしの昭和、平成そして令和「食べ物カルチャーショック⑭初酒」  スタッフM

              私は極めて真面目生活を高校時代過ごしていました(ホンマちや!)。

              酒は正月でも飲まんし、煙草も覚えなかった(ホンマや言いゆうがやろー!ちっ (怒った顔))。

              弟2人は未成年のうちに両方やってしもうたんです。1浪している灰色の受験生時代、部活(生物クラブ)の同窓会というか新年会。顧問の先生にも来ていただき、祝宴。私たちは料理にジュース。先生方には熱燗1本を付けました。そのうち先生が怒り出し、「俺が払うから酒どんどん上げてこい!」ええーっ我々は未成年、しかも浪人中の受験生。

              「アホ!高校卒業したら飲んでもええんじゃ」 その先生、指導課で、朝礼で厳しいことを言う役目にありました。酒に弱い同級生はかなりひどいことに、私はその時飲めることを知った次第。

              先生からも「おまえ、いけるやないか、親父ゆずりやな(父は教員)」。 酒に開眼ビール

              生物クラブの内では非常にやさしい先生、大好きな先生でした。鬼籍に入ってしまって久しくなります。 合掌。

               

                私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑬“かしわ“という名の幻の料理」 スタッフМ

                高知大学受験後、香川大学に現役で入っていた高校の同級生のところに立ち寄りました(私は一浪)。

                彼が住んでいたのは香大屋島寮。高松から屋島を経て志度に抜ける大きな道路はまだなく、工事中でした。工事現場に沿ってポツンと居酒屋があり、香大の学生たちで賑わっていました。

                看板料理に“かしわ”というのがあり、アルミホイールで鍋を作り、鶏肉、キャベツ、ニラ、モヤシなどを山のように積んだものをガスコンロにかけ、鍋をつつき破らないようにして下から返し、火が通ったところで焼き肉のタレでいただくというものでした。

                シンプルで後片付けもラク、蒸し焼き風になり、感動的でありました。

                これを今でもよく作っていますが、ガサツな人間はアルミ箔をつつきやぶるので、普通の鍋で作っています。幻の料理ともいえる“かしわ”、誰か知っているかなー?50年以上も前のことやけんのー。

                同級生も鬼籍に入ってしまいました。泣き顔

                 

                  私の昭和、平成、令和「食べ物カルチャーショック⑫高知城のたこ焼き」スタッフМ

                  昭和46年3月、高知大学受験のため高知に足を踏み入れました。

                  受験会場は本学ではなく高知城近くの追手前高校でした。2日間の日程を終え、同じ宿に集まった仲間たちはすぐに帰ったり、本学を見に行ったり、桂浜に行ったりしました。私はどうせ合格しないだろうと思っていたので知り合った仲間と高知城見物をしました。

                  見物を終えて追手門から出て来ると、たこ焼きの屋台が出ていました。玉子入りと表示されていたので、これがこれが美味しいんやなと仲間で納得、そこで立ち食いでした。

                  よくよく思い返してみると私にとっては初たこ焼きだったと思います。実に美味しいと思いました。

                  私の世代ではまだマヨネーズを使っていなかったようです。

                  たこ焼きの思い出を胸に、高知駅に向かいました。

                   

                    ひさしぶりのフィールド ~館長・Seana~

                    先日、私が所属する神戸の生物多様性を守る会が運営する
                    外来生物展示センター主催で南あわじへ行っていました。

                    ものすごく良いお天気に恵まれてたのもあるのだが
                    あわじの自然には本当に感動した。
                    三原ボーイスカウトのみんなといっしょに外来種について
                    フィールドで学ぶというイベントだったが
                    現地に行くと自然豊かというか、懐かしい独特の時間が流れる場所があった。

                    古くからある日本の時間がゆっくりと
                    令和の今も昭和とおなじように流れている。
                    集合場所が神社とお寺の境内というのも私にとってはとても新鮮だった。
                    その地を守る神仏が身近に今も存在しているというか
                    街の生活としてこどもたちに引き継がれていく日本の風習が
                    ここ南あわじには今もある。守っていきたい日本がここにある。
                    と、ともにまた自然もしかりだった。

                    ものの数分でこどもらが「捕まえた~!」と興奮気にやってきた。
                    見てみるとなんとタガメではないか!
                    ついつい「タガメやんか!!!!!」と大きな声が出た。
                    こんなに簡単にタガメと出会えるとは、南あわじの自然は素晴らしい。
                    その後もカワニナ、タニシやメダカなどを、これはたまるかといわんばかりに
                    たくさん簡単に捕まえてくる。
                    とくにカワニナを大量に採ってきていたことから、
                    この川にはたくさんの蛍が現代もいることが予測できた。

                    ジブリワールドのようなところだと感じた。
                    高知にも多くの自然が残されてはいるが、
                    高知とは違う自然がここ南あわじにはあったし、感じた。
                    こどもたちはボーイスカウトの団長から長くつを履くように指示されていたのだが
                    長くつの中に水が入っても平気で夢中になって採取していた。
                    境内で地面に座ることを汚くなるから嫌だ!と言っていた子たちとは思えない。

                    こどもたちが本来の姿で楽しんでいるのをフィールドで見るのは何年ぶりだろう。
                    コロナ禍ということもあるが、館長になってからはなかなか無いことだ。
                    やはり現場が一番で最高に楽しい。
                    高知では館長ということもあり、
                    現場には若手を出し経験をさせ次の世代につなげることが仕事でもある。
                    しかしながら、神戸での私は役職もなく諸先輩方と共に活動出来る。
                    学ぶということの楽しさを実感している。