私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑥」  スタッフМ

寮生活の何じゃかんじゃあって1年が過ぎた。寮生も淘汰されて少なくなったが、私は私なりに楽しんでいたようである。昭和47年(1972)のこと。日曜日には日曜市や帯ブラ(わかるかなぁ?)。

製パン工場から耳パン(端パン)を安価で大量に仕入れて、バターやジャムなどをつけて仲間で食べたりしていた。

日清のカップヌードルが誕生したのもこの頃。大阪出身の友人のもとに実家から送られてきたものを食べさせてもらった。当時は中央との時間差があり、噂に聞いた食べ物もなかなか入ってこなかったようだ。

そういえば実家のある三重県でほぼ姿を消していた百円札がこちらでは横行していたっけ。ただ、ファッションだけは新しい物好きな土佐人気質で、先取りする風潮があるといわれていた。

    私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑥」  スタッフМ」への1件のフィードバック

    1. 百円札❗
      実物は義祖父が持っていて見せてくれた記憶があります☺️

      お札で伊藤博文の絵柄が入ったやつは小さい頃に見た記憶があります☺️

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