私の昭和、平成、そして令和「カニさんの受難②」  スタッフM

結婚して現在の居住地である土佐市に住むようになると、勤務先の桂浜水族館からの帰り道にも群れをなして仁淀川めざして道路を横断するカニが出現。つぶさないよう気を付けて車を走らせましたが、朝の出勤時には無残にもつぶされたカニの死骸がいたるところに見られ、心が痛む思いでした。

これが原因なのかどうかは定かではありませんが(一因となっているのはたしかでしょう)、近頃めっきりカニの姿が減ってしまいました。カニの種類はアカテガニ、ベンケイガニ、クロベンケイガニなどで、特にアカテガニは海岸や川沿いの崖を登り、穴にかくれて生活しています。繁殖期には大群で水際に移動し、水に入って放卵します。道路を横切ってい移動する際に車に轢かれてしまうのです。道路の下にカニの通り道となるようなトンネルを設けるなどして、対策を講じてみてはとある人に話したこともありましたが…。

カニさんだけではないのかもしれませんが、受難が続いています。  おわり

私の昭和、平成、そして令和「カニさんの受難①」  スタッフM

大阪万博の翌年、昭和46年に高知大学に入学。水産系を目指していたことから海の生物に関心を持っていました。高校時代(三重県立松阪高等学校)は生物クラブに所属、海浜生物の調査・研究のマネごとをしていました。大学での部活はボート部。浦戸湾の灘地区に艇庫がありました。奥には古畳を敷いたスペースがあり、ホームレスさながらの合宿もできるようになっていました。壁はブロックで、よくカニが侵入し、天井近くまでも登っていました。

当時はカニがたくさんいて、海沿いの道路には初夏から盛夏にかけて産卵に向かうカニの大群が出現し、バイクや自動車でふみつぶしてしまうことが多々ありました。いはんや自動車をや!避けようがない状態でした。憂いつつ……   つづく

誰ぞね?スタッフ・ひかるん

こんにちは!4月に桂浜水族館のメンバーになりました、新米スタッフのひかるんです。

祝・ブログ初出演!!!!以後、お見知りおきを!

 

入社から早2か月。

気づけば、ピンク色だった桜の木々は新緑に染まり

「清純」の象徴だった漆黒の髪の毛は青く染まっていました。

波乱のゴールデンウィーク、人生初ラジオ、グッズ発売などなど

いろんなことを経験して「ハマスイ」に染まってきている証拠ですね!!!!

さて本題の「誰ぞね?」です。

ブログ初主演を記念して、自己紹介をさせていただきます。

まだまだ僕のことをご存じない方、必見です。

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名前:ひかるん

出身:群馬

(群馬、東京と続き高知に流れ着きました。うん!自然がいっぱい!)

誕生日:8月29日

(盛田のおんちゃんと1日違い!本人に自慢をしたら「誕生日を変えろ」とのこと。もう、素直じゃないんだから♡)

好き:うどん、カプリコ、橋本環奈さん

嫌い:アボカド、寒さ、早起き

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もっと僕のことを知りたくなったでしょ????

ハマスイの荒い波に溺れないように、まじめにふざけていきたいな!

桂浜桂浜水族館でお待ちしています!

私の昭和、平成、そして令和「タガメ②」  スタッフM

雨上がりの水溜りにはアメンボとともにいろいろな種類のゲンゴロウやミズスマシなどがいくらでもいましたが、今は水溜りそのものがほとんどなくなり、今は、虫たちの姿をみかけることもなくなったように思われます。環境破壊が急速に進んだことが原因ではないかと思っていますが、都市化が進み、明るい街路灯やネオンなどの光を求めて飛来する昆虫たちが夜が明けて帰路につくことができなくなったのではないでしょうか。おびただしい数のタガメ。ついそう思ってしまいます。

ある人から聞いた話ですが、タガメの採集のため大野見村から山に入り、さほど離れていない2つの池を調べたところ、1つにはタガメがいて、もう1つにはいなかったとのこと、私の勝手な仮説ですが、ひょっとするとタガメがいた池は町の灯りや街路灯が見えない位置にあり、もう一方からはそれが見えたということでは…?あくまでも推測の域を出ませんが、乱暴でしょうか。

難儀をかかえている動物は少なからずです。

私の昭和、平成、そして令和「タガメ①」  スタッフM

高知に来た昭和46年以前の20年間を過ごした三重県松阪市。小学生の頃は母方の祖母宅に行くのが楽しみでした。夏休みに泊まりに行った時は、祖母と同居していた叔母にねだって比較的近い松阪の中心街に夜な夜な連れて行ってもらいました。目的は街路灯の光に集まってくる昆虫でした。カブトムシやカナブン、蛾などさまざまな虫たちが飛び回ったり、側溝に落ちたりしていました。私のねらいはタガメでした。図鑑でしか見たことがなかった幻の虫(みたいな…)がおどろくほどたくさん飛来していたのです。これを難なく捕まえてゴチャゴチャと水槽に泳がせていたものでした。

現在、タガメは生息数が激減してしまい、マニアがこれを繁殖させてたのしんでいるようです。タガメだけではなくミズカマキリやタイコウチ、ガムシ、マツモムシなどの水生昆虫もたくさんいましたが、これらも全滅のおそれのある希少動物となっているようです。   つづく

私の昭和、平成、そして令和「けいりん道路②」  スタッフM

東京オリンピックの招致が決まり、全国の道路のアスファルト舗装による整備が進められてきました。けいりん道路にもコールタールの入ったドラム缶が置かれていました。ここで悪りことしぶりを発揮、木切れをつっこんでゴチャゴチャしているうちに服や体がまっ黒になるほど付着してしまいました。何とか家に帰り、ベンジンなどでふきとってもらいましたが、大変な作業だったと記録しています。祖母がまだ健在の頃で、他にもだれかがいたと思うのですが、はっきり思い出せません。

けいりん道路は今もしっかり機能しているようで、実家の父母が健在だった頃、帰省時に歩きにも行きましたが、様変わりしていて、それ異常に昔思っていたよりも以外と距離が短いことを感じてしまいました。

私の昭和、平成、そして令和「けいりん道路①」  スタッフM

戦後の復興もかなり進んでいた昭和26年に生まれた私、「戦争を知らない子どもたち」です。さほど不自由な暮らしをしていなかったので、戦争、戦後の体験記みたいなことは書けませんが、昭和の原風景的なものを私なりに紹介してみたいと思います。

生まれ育った三重県松阪市、松阪競輪が開催されていて、多くの人たちが集まって来ます。松阪駅から南西に下ったところから右に曲がり、まっすぐに伸びた道をけいりん道路と呼んでいました。私の母校、松阪市立第二小学校の校区内で、当時は舗装されておらずデコボコで、雨が降ると水溜りがたくさんできました。これが私たちの格好の遊び場で、ゲンゴロウやガムシ、ミズスマシ、マツモムシ、アメンボなどをつかまえて遊んでいました。競輪のある日以外は車の往来もほとんどなく、遊び放題でした。夜はけいりん道路を横切って、家族で歩いて銭湯に行き、その頃できた日立のネオン塔の文字が変わるのを眺めるのが楽しみでありました

つづく    次回はこれにまつわる「悪いことしの記」

私の昭和、平成、そして令和「怖かった話④」スタッフM

桂浜水族館に就職した昭和50年の夏、私は水泳が苦手でしたが、先輩の高谷さん(エコオヤジ)が大学時代水泳部だったので、イルカプールで手ほどきを受けていました。

そんな時、桂浜沖に人の死体らしきものが流れてきたのです。竜宮岬から見ると人のようでもあり、流木のようにも見えます。通報するにも流木ではどうにもなりません。そこで意を決して確認することにしました。当時の桂浜は遊歩道沿いに土産品店が並んでいて、おばちゃんたちが浜に出ていました。

「行かれんぞね、やめちょき」

「水泳は高谷さんから習っていますから」

その日は高谷さんは休みでした。目標まで50mか100mか波打ち際近くまで流れてきていました。水中眼鏡で前を見ながら接近。1mまで近づくと心臓が凍りつく!背広姿の人が下向きに浮いていました。腐乱した様子はなし。必死になってとび逃げる。息もつかずクロールで泳ぎ波で打ち上げられた形。

「人や人や!背広着た大きな男や」

死体は流されて泳へ出て行き、夕方のニュースで実際は140cmほどの小柄な年輩の女性ということを知りました。動揺して目測を誤ったのでした。

その晩は朝倉米田の高知大学南溟寮へ行き、まだ卒業していない同期生たちや後輩たちとビールやら酒やらウイスキーやらを飲みまくって……、何とか眠りにつきました。

 

メ異とボク 第43話&44話 スタッフ・ひな

皆様こんにちは。色々バタバタしていてようやくブログ書けて4コマ描けた私です!

メンダコ「リアルにバタバタしてました!」

何週ぶりかになりますので今回は『メ異とボク』シリーズ2本立てです!

メンダコ「カオス4コマが帰って来たよ!」

 

 

 

 

 

 

まず1本目は、『入れ替わったメ異とボク』

なんで入れ替わったって?・・・ご想像にお任せします。

メンダコ(考えてないなこれは・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

きっとメンダコくんと入れ替わったら、吸盤に慣れるまでが大変だと思います!

あとはいかに必要最低限に体を動かさずにエネルギーを温存できるのか!

メンダコ「急に真面目だな

 

そして2本目は『耳そうじとボク』

皆様は耳掃除をする時に、どの耳かきを使いますか?

綿棒?梵天付き耳かき?それとも高性能付き耳かき?

(最近薬局でライト付きや3つ歯がついている耳かきを見つけました)

ちなみに私は綿棒派です

メンダコ「過去に梵天付きの竹耳かきを使ったら力入れすぎてって事があったよね・・・」

メンダコくんも耳あるし、耳かきしてみる?

 

 

 

 

 

 

 

 

メンダコ「あれからメ異がボクの耳を見ようとしないんだけど、何があったのかな???」

実はこの時、出てくるのが藻にしようか海ぶどうにしようか迷いました。

海の中なら体に海藻とかまきつくんじゃないかと・・・。

 

また来週から更新できるようがんばります~

 

私の昭和、平成、そして令和「怖かった話③」スタッフM

高知大学農学部では、1,2回生は朝倉キャンパスで学び、3,4回生は日章(南国市)キャンパスに移るということになっていました。

南国市立田に下宿を定めた時のことです。田んぼの中にその下宿があり、私の部屋から2~30m先の田んぼの中に小高く盛り上がった一角がありました。昼、ボーッと窓から外を見ていた時に奇妙な集団が現れました。頭にザルのようなものをかぶり、いろいろなものを手に持って、田んぼの中の島みたいな所を並んでグルグル回っています。そのうち大きな風呂桶のようなものをかついできて、あらかじめ握ってあったであろう穴に納めて土をかけたのです。座棺、土葬!目のあたりに見た初めての光景。話には聞いていましたが、さすがにゾッとしました。そのうち集まった人々はゾロゾロ帰り始めました。「おーい、そんなもん置いていくなよーーふらふら

下宿は主屋から離れていて三部屋ありましたが、私一人しか入居していませんでした。小川が流れていて蛍もたくさんいていい所でしたが…。卒業するまで2年間暮らしましたが、化けて出てきたものはありませんでした。昭和48年のことです。