私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)④」  スタッフМ

この寮歌練習の間に、喉が弱く大声が出せないという理由で退寮した者や夜逃げした者が出た。

たしかにシゴキではあったが、儀式のようなものであり、しっかり覚えなければどうこうされるものではなく、逆に寮歌は私たちの心の歌、誇りでもあるという感覚が生まれてきた。

コンパなどでは率先してこれらの歌が歌われた。当時はカラオケなどなく、手拍子で歌ったものだった。

現在、私の勤務する桂浜水族館に博物館実習やインターンシップで来る高知大生で南溟寮生(なんめいりょうせい)や寮をよく知る学生に聞くと、いつの頃から寮歌練習は廃れてしまい、寮歌が歌われることがなくなったとのこと。

それでも一部の高知大生や教官の間で「慕南歌」などが歌い継がれているようである。

    私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)④」  スタッフМ」への1件のフィードバック

    1. 伝統はいつのまにか消えていくけど、完全ではなく一部の方々には脈々と受け継がれているのは嬉しいですね😃

      私も中学生の時はテニス部所属で、地獄の声出し練習はかなりキツかったです😖
      1キロはある直線の坂のてっぺんから、下にいる先輩までハッキリ聞こえないといつまでもやらされる練習は今でも覚えてます😫

      一時期風邪をこじらせ、喉をやられ声が出ない時は本当に辛くて泣きました😖

      どうやら今はそれはないみたいです💧

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