スタッフの日記帳 桂浜水族館のスタッフが、その日の気分で書いて行く日記帳です。今日のなんでもない出来事やおもしろい話、いろいろ書いていきます! 128 (再)標本作り④シノノメサカタザメ 名前はサメだがエイの仲間、大型で形が変わっていて性格もおとなしいので、水族館向きの魚である。ごくたまに漁協などから連絡があり引き取りに行くが、なかなか餌付かない。確か3個体目(昭和55年秋)に、生… 127 (再)標本作り③マンボウ 飼育を試みても、すぐに死んでしまうマンボウをなんとか標本に出来ないかと、何度も試みた。表皮はサンドペーパーのようにザラザラで硬いが、その下に厚いコラーゲン層がある。これを乾燥させるのは大変だった。… 126 (再)標本作り②ホウボウ Mの作るクルマダイをまねて、私はセミホウボウで作ってみることにした。何しろ大きな胸鰭が素晴らしい。身をぬいて胸鰭を広げて乾燥させると、簡単に素晴らしい標本になった。味をしめてホウボウにも挑戦してみ… 私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑪」 スタッフМ 小津の杜の南溟寮(なんめいりょう)も私が南国市の日章、農学部に出て行くと同時に新寮闘争実って朝倉米田の地に移った。 当時、高知市内に飲みに出て、廃屋となった寮に入り、涙しながら壁をはがして持ち帰ったこ… 125 (再)標本作り①クルマダイ 後輩のM(現・なんちゃって課長M)は、入社して間もなくのころクルマダイの剥製を作り始めた。密集した小さいウロコのため皮が厚く、身をはがしても体型がくずれない。乾燥させて紙粘土をつめ込んだだけで、き… 124 アラカルト⑯星空ナビⓑ “ふたごの星”の記憶は私の中に潜在していたようで、小学生のころから宇宙や星空に興味を持っていた。父親の星座図を何度も持ち出して、ついにはバラバラにしておこられた記憶が残っている。高校生の頃、彼女(… 私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑩」 スタッフМ 時代的には、山陽新幹線が新大阪から岡山まで開通、大阪高知特急フェリーと土佐特急フェリーそしてさんふらわあといった大型フェリーが就航し、松阪への帰省にもバリエーションができた。飛行機もあるにはあったが、… 私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑨」 スタッフМ 話かわって、寮生活2年目には役員のお鉢が回ってきた。 1寮炊事委員という肩書きである。当時の南溟寮(なんめいりょう)は1寮から5寮まであり、それぞれに寮長と2名に委員がいた。 そして、それを束ねる総務… 私の昭和、平成そして令和「小津の杜(もり)⑧」 スタッフМ 前回脱線してしまったので「小津の杜」に戻らねばならぬ、南溟寮(なんめいりょう)に暮らした2年間は学生運動が盛んな頃であった。 成田空港建設に反対するいわゆる「三里塚の闘争」に参加した同級生が逮捕される… 私の昭和、平成そして令和「小津の森(もり)⑦」 スタッフM さて、私は子どもの頃から虫が大好きで、毎年いろいろな虫をつかまえて飼育するのを趣味としていた。 カブトムシやクワガタも採集したりしたが、それよりもキリギリスやコオロギなど鳴く虫に興味があった。図鑑でし… ▲ ページのTOPにもどる