スタッフの日記帳 桂浜水族館のスタッフが、その日の気分で書いて行く日記帳です。今日のなんでもない出来事やおもしろい話、いろいろ書いていきます! ハマスイ好きもスイゾク好きもスタッフ好きも! 雨降る日が続く中、今日もここ桂浜水族館の売店マリンストアは雨音とスイゾクの声を聞きながら営業中です。 さてさて今日も電気をつけて・・・ … 私の昭和、平成、そして令和「けいりん道路②」 スタッフM 東京オリンピックの招致が決まり、全国の道路のアスファルト舗装による整備が進められてきました。けいりん道路にもコールタールの入ったドラム缶が置かれていました。ここで悪りことしぶりを発揮、木切れをつっこん… 私の昭和、平成、そして令和「けいりん道路①」 スタッフM 戦後の復興もかなり進んでいた昭和26年に生まれた私、「戦争を知らない子どもたち」です。さほど不自由な暮らしをしていなかったので、戦争、戦後の体験記みたいなことは書けませんが、昭和の原風景的なものを私な… 私の昭和、平成、そして令和「怖かった話④」スタッフM 桂浜水族館に就職した昭和50年の夏、私は水泳が苦手でしたが、先輩の高谷さん(エコオヤジ)が大学時代水泳部だったので、イルカプールで手ほどきを受けていました。 そんな時、桂浜沖に人の死体らしきものが流れ… メ異とボク 第43話&44話 スタッフ・ひな 皆様こんにちは。色々バタバタしていてようやくブログ書けて4コマ描けた私です! メンダコ「リアルにバタバタしてました!」 何週ぶりかになりますので今回は『メ異とボク』シリーズ2本立てです! メンダコ「カ… 私の昭和、平成、そして令和「怖かった話③」スタッフM 高知大学農学部では、1,2回生は朝倉キャンパスで学び、3,4回生は日章(南国市)キャンパスに移るということになっていました。 南国市立田に下宿を定めた時のことです。田んぼの中にその下宿があり、私の部屋… 私の昭和、平成、そして令和「怖かった話②」 スタッフM 家に帰りついても眠ることができない状態でした。母が添い寝してくれて、やっとポツポツとうちあけました。 母が教えてくれたのが、それは多分ケロイドといって原爆を受けた時に負ったやけどのひどいものだろうとい… 私の昭和、平和、そして令和「怖かった話①」スタッフM 小学校5年の終り、春休みのことでした。昭和38年のことですから古い古い話になるのでしょう。祖母が東京にいたことがあり、伯父が東京に住んでいたことを以前書かせてもらいましたが、祖母は毎年上京して伯父宅や… 760 母、104歳⑳“ありがとう” 大正6年6月10日生まれなので、104歳と5ヶ月と10日。夫に先立たれたのは45歳の時。当時は14歳(長女)の中学生・16歳と18歳(私)の高校生・20歳と22歳の大学生をかかえて苦しい経済状態の… 759 母、104歳⑲訃報 私の見る限り、命の灯火はあと数日。しかし入院させたのであと一ヶ月??。でも年越しはありえない。などと思いつつ“面会は今日で最後だろう…”と重い足取りで高知に帰って来た。訃報が届いたのは意外に早く、… ▲ ページのTOPにもどる