私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今ここにいるのだろう?⑥」  スタッフM

上京の際、祖母の妹たちのもとに立ち寄ると、いろいろな話を聞かされたのですが、歴史や文化にあまり関心がなく、どちらかというと理系かなーといった感じの私には、馬耳東風、申し訳ない話でした。それでも掛軸を手にして恐れ入ってしまいました。三宅、山崎のおばさんも亡くなり、掛軸が残るのみですが、家系図を調べたりするわが娘や、墓参りを強く進めた同僚の女性、高知大学に導いた友人、桂浜水族館への就職のきっかけとなった別の友人たちの存在は私にとって何だったのだろうかと思うと、何か超自然的なものを感じ得ずにいられません。

私の祖母がなぜ三重県の松阪なのか、詳細はよく知りませんが、久元の孫にあたる久敬(土方与志)の左翼活動が大きく影響していた事実があります。これにより、土方家は爵位返上と華族除名の厳罰を課せられたといいます。祖母の弟の久武は出家、一族の因果を仏のもとにおさめようとしたのです。久武は玄味さんという坊さんで、私たちは「原(静岡県)のおじさん」と呼んでいました。松阪にも時々来て、小さい頃の私や弟に本や菓子などを買ってくれました。耳の穴から毛の束がはえていたかわった風貌の人だったことを覚えています。

いろいろ書き連ねてきましたが、紛れもなく私はご先祖様ゆかりの土佐にいるのです。土方家のキーワードは「久」。そういえば東京のおじさん(父の兄)は丸林久信で、しっかり「久」がついています。映画監督やテレビのプロデューサーをしていて、おばさん(泰子)の弟は何と、今も現役の森本毅郎氏です。

伯父(久信)も伯母(泰子)も玄味さん(久武)も他界しました。

千田稔著『明治・大正・昭和華族事件禄』(新潮文庫)には「赤い伯爵」の左翼演劇活動として詳しく記されています。  終わり

    私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今ここにいるのだろう?⑥」  スタッフM」への2件のフィードバック

    1. ご先祖様が丸林さんを呼んでくれたのかもしれませんね☺️

      凄くステキな短編小説を読ませて頂いた気分になりました😄

      ステキなお話を本当にありがとうございます😭

    2. 何と森本毅郎氏!

      私も丸林さんとつながりました。(?)
      今、住んでいる所は静岡県。
      父の名は久が入っています。
      そして、先日、高知の地を踏みました。
      やったー\(◎o◎)/

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