私の昭和、平成、そして令和「怖かった話②」  スタッフM

家に帰りついても眠ることができない状態でした。母が添い寝してくれて、やっとポツポツとうちあけました。

母が教えてくれたのが、それは多分ケロイドといって原爆を受けた時に負ったやけどのひどいものだろうということでした。当たっているかどうかはわかりませんでしたが、私が被爆の恐ろしさを知り、学んだ第一歩でしょうか。

子供の頃の記憶は、正直薄れかかってきましたが、戦争の怖さ、犠牲になった人々のとりかえしようのない苦しみははかりしれないものであるとつくづく思わされます。

生々しい戦争体験記が記されている書物などがあります。筆をとられた方々、戦争体験者の方々が時の流れとともに風化していくことを余儀なくされていく中で、大変貴重なものを残して下さっていると思います。

私が体験したことも些細なようで、決して些細ではなく、風化させてしまってはいけないのかなと思い、ペンをとった次第です。

    私の昭和、平成、そして令和「怖かった話②」  スタッフM」への2件のフィードバック

    1. 私が勤務している病院では、体内被曝の患者様がいらっしゃいます。
      戦争は遠い過去の話のように思えるかもですが、その後に及ぼす影響は計り知れないものがあります。
      昨今のニュースを見て、未来に及ぼす影響を考えると胸が痛むばかりです。

    2. 私の祖父は通信兵として
      義祖父は医療兵として
      それぞれ戦地で大変な思いをされて、帰還されました。

      息子も修学旅行で広島の原爆ドーム等に行き、戦争の爪痕等を資料館でみてきました。

      私は祖父から戦争の経験や仲間を失った悲しみを聞き、社会科の授業で発表しました。

      私の息子も小学校低学年の時に義祖父から戦争の話を聞いていました。

      ケロイドは本当に辛いですよね。
      女性なら尚更です。

      今の戦争のニュースを見ると胸が痛みます😭

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