私の昭和、平成、そして令和「ほいとと開運橋」 スタッフМ

生粋の土佐人ではないため、古い時代の高知のことは知りませんが、所変われど何か共通したものがあるかと思います。盆、正月や春、夏、秋、冬休みなど母方の祖母の家に行くことを楽しみにしていました。祖母宅の近くには阪内川というきれいな川が流れていました。暖かい時期にはよく川で遊びました。この川には開運橋という木造の端が架かっていて、後に市内バスが運行するようになり、この橋を通るとギシギシときしみ音がしていました。さて、この橋の下には男の人が1人住んでいました。高知ではほいとといいますが、辞書にもあるので一般的な言葉でしょうか。当時は橋の下の住人は珍しいことではなかったようです。私は特にこのほいとさんとかかわることはなかったのですが、覚えているのはヘビを捕まえて食べていたということで、「精がつきますんさ」と言っていたことを、祖母や同居していた叔母から聞かされていました。いつの間にかほいとさんはいなくなり、阪内川も改修され、無機質な感じとなっていました。

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