「食べ物カルチャーショック🈡 伊勢中川駅の立食い~中華そば」 スタッフМ

昭和45年(1970年)、大阪万博が開催された年、私は浪人生活を余儀なくされていました。自宅の松阪から近鉄の急行で名古屋まで1時間半かけて河合塾への通学でした。

大体、車内では古典を読んだりテキストに出てきた英単語を覚えたりしていましたが(本当ですよ)

同様にして通学する同級生たちと乗り合わすと桑名や四日市で途中下車して、ホームにあった立ち食いできしめんなどを食べたりしていました。とりわけ近鉄名古屋線と大阪線の分岐に当たる伊勢中川駅の立ち食いの中華そばは最も好きで、大阪方面の各駅停車に乗り換える友人に付き合って小腹を満たしたものでした。

灰色の浪人生活の中、ささやかな楽しみといえましょうか?

とりとめもなくくだらないことを書いてきましたが、嘲笑いされる前にひとまず終了します。次、大作行けるかなーボケーっとした顔

    「食べ物カルチャーショック🈡 伊勢中川駅の立食い~中華そば」 スタッフМ」への1件のフィードバック

    1. 私も学生時代部、活帰りなどに皆でお店に立ち寄りお菓子などを買ったりして近くの公園でおしゃべりしながら食べてました🎵

      夏場はかき氷を買っては皆で食べていたのを思い出しました✨

      冬はたこ焼きやかき氷屋さんの白玉ぜんざいもいただきました✨️

      年は違えどみんな同じようなことをしてますよ☺️

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