私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック⑤そうめん」  スタッフM

何でそうめんがカルチャーショック?と思われる方もおられることと思います。

実は子どもの頃、松阪の実家ではそうめんは油臭いということで、ひやむぎを食べていました。ひやむぎもそうめんもつけ汁につける食べ方でした。高知に来た年の夏、大学の生協の学食にそうめんが登場しました。それを見てびっくり、始めから汁につかっているではないですか。

とりあえず注文してみました。これが口にあうことこの上なし。つけ汁のように食べ進むうちに汁が薄くなることがなく、実家で聞いていた油臭さなどみじんもありません。一発でハマってしまい、町の食堂へも食べに行きました。そうめんは手延べする時に使う油が良くなったことと、ゆで上げた時に冷水でしめ、よく洗うことで美味しくなるということを教えてもらいました。

以前、桂浜水族館のフードストアのそうめんが日本1とブログで紹介したことがありますが、今年はフードのスタッフが手が回らないということで、そうめんがメニューからはずされたそうです。甚だ残念であります。

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック④天ぷらうどん」  スタッフM

天ぷらうどんの名は知っていました。家庭でもよく天ぷらを揚げていました。大体野菜がメインで芋や人参、玉ねぎなどが食卓に上がっていました。これをうどんに入れて食べるなどゾッとしないなーと思っていました。食わず嫌いというものでしょう。初めて口にしたのは昭和45年、受験に行った先の下関駅の構内の立ち食いでした。同行した友人につられて注文したのですが、普通のやわらかいうどんに小エビのかき揚げ天が乗った極めてシンプルなものでした。これが衝撃的だったことで以後、天ぷらうどんのとりこになってしまいました。高知大学に入学した頃、当時は山陽新幹線などなく宇高フェリーで四国に渡り、高松駅の構内で天ぷらうどんをよく食べたものです。これも小エビのかき揚げ天だったのが、大きいエビ天に変わりました。

高知でも天ぷらうどんを食べるため、うどん店をよく巡りました。1年下の後輩も「うどんは天ぷら!」と言っていたのが印象的です。今はセルフのうどん店で気楽に食べられますが年齢とともにむつこさは避けられません涙

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック➂チキンラーメン」 スタッフМ

私の小学生低学年時代、とんでもない食べ物が出回りました。お湯をかけるだけでできるラーメン、チキンラーメンの登場でした。それまでは家でラーメンを食べるのは出前か、寿がき家のやや手のかかるものでした。チキンラーメンはインパクトがあり、美味しい!と思ったものでした。誕生日のごちそうにリクエストしたほどでした。その後、もうひと手間かければより美味しいものができる袋麺が台頭し、チキンラーメンは姿を消しました。復活したのは大学卒業後だったのかなーと思います。若い人(50代)に言わせると「チキンラーメン、美味しくないねーバッド (下向き矢印)」私にとっては何をか言はんやがく〜 (落胆した顔)

大阪の池田にインスタントラーメン発明記念館があり、3度ほど訪ねて行っています。チキンラーメンの生みの親、安藤百福氏の思いがつまっています。リアルタイムで経験したチキンラーメンの味、自慢したくなります。

浦戸大橋50歳 ~館長~

2022年7月13日高知市浦戸にある大きな橋「浦戸大橋」が
50歳のお誕生日を迎えました。

50年前に出来たこの橋は高知市内でも一番の大きな橋で
桂浜と種﨑を結ぶ画期的な橋です。
現在では、観光道路でもあり南地区と東地区を結ぶ道路ですが
昔は有料道路でした。

この浦戸大橋が無い時代、船で浦戸湾を渡っていました。
現在も残されている県長浜種崎間県営渡船しかなかったそうです。
県道弘岡下種崎線の一部として現在も運行しています。
この渡船は浦戸大橋が出来てから乗船される方は減りました。
無料化した2002年からは車両の乗船も制限をしながらも、
いまもなお、お遍路さんや通学の学生さんの
足となり運行しています。
この歴史を持ちながらも昔のまま運行しつづけるこの渡船は
高知市の宝だと思っています。

そして!浦戸大橋も立派に観光スポットです!
高知龍馬空港から桂浜、
また五台山・牧野植物園からの桂浜へのアクセスには必ず通ります。
橋上から左右に見えるのは、のどかな浦戸湾と壮大な太平洋、青い空と緑の森。
ジブリ的ワールドがすぐそこに見れるのです。
龍馬マラソンでは、この橋の登りがとてもキツイのですが、
登り切った先にある雄大な太平洋が現れた瞬間ほど
感動するものはないと思います!
高知市の観光として、浦戸大橋も渡船も、
もっとスポットを当ててあげたらえぇのになぁ…。

さて、我がハマスイも半世紀を生き抜いた浦戸大橋と同じ年がいます。
なんとも個性強烈な人物ですよねww

おめでとう!
そしてありがとう!の50周年!!!
まだまだなんだかんだとあるんだろうけど
おもしろたのしく生きていこう~。

出張水族館in梼原! スタッフ・ひかるん

北は大豊から南は土佐清水まで高知のみなさんこんにちは!

そして全国のハマスイマーのみなさん、やっほー!

土佐の空気に飲まれ・・・・。慣れてきたひかるんです。

 

夏の暑さも本気を見せてきた今日この頃、

梼原町立図書館『雲の上の図書館』さんに行ってきました!!

「図書館と水族館でコラボできたら面白そうですね」と

ご招待いただき、ひかるん史上初の出張です!

ワークショップや講演会など

てんこもりもりの内容を写真たっぷりでお伝えしちゃお♡

 

前日からドキドキ、たっぷり8時間睡眠で準備はばっちり!

いざ出発しんこー――――――!

 

梼原町は桂浜から車で2時間ほど、高知県と愛媛県の県境にある山の恵みたっぷりの場所です!

 

まずは、『マイ簾づくり』のワークショップから!

梼原の職人さんが梼原産の茅で作った簾(すだれ)に

桂浜周辺で打ち上がった貝殻を飾りつけて『マイ簾』を作りました!

(完成品の作品撮り忘れたぁぁ。)

 

幅広い年代の方に参加いただき、完成した作品は十人十色!

本物の貝殻や魚のプラ板パーツを手に、参加者のみなさんからは「どんな名前?」「どこに落ちていたの?」「どっちの魚の方が深いところに住んでいる?」とたくさんの疑問が出てきました。

図書館さんがたっくさんの図鑑を用意してくださり熱心に調べる参加者さんも。

本物をみて、「?」が生まれ、自分で調べてみる。すると次の「?」が見つかり、本物をもっと詳しく見てみる。知識の宝庫である図書館と博物館でもある水族館のコラボだからこそできた素晴らしい経験!

そうそうそう!当日は簾を作っていただいた茅葺き職人さんもいらしていて、

私ひかるんも簾づくりに挑戦!!紐を垂らして材料を選び、緩まないように編んで・・・。

職人さんに「満点!!」の評価をもらっちゃいました☆

午後からは、スーパー飼育員「まるのん」による講演!

幼少期のやんちゃっ子エピソードや飼育員を目指したきっかけから

動物たちのへの思い、後輩飼育員の育成まで大盛り上がりでした!

実は打合せ段階で図書館の担当者さんから「梼原は山しかないし、海と触れ合ったことがない子供もいて。だから視野を広げてほしいんです。」と“素敵な思い”をたくさんお聞きしていました。

 

私自身、梼原初上陸でしたが、担当者さんが「山しか」と表現する町には、大自然と真摯に向き合う職人さん、のびのびと地域全体に育てられた子供たち、フレンドリーな町民のみなさん、ほんとうにたくさんの魅力が詰まっていました。

 

梼原と桂浜、山と海。身近にあると見逃してしまうけれど、“宝物”は意外と近くにあるのかもしれませんね。

足を運んでいただいたみなさん、雲の上の図書館のみなさんありがとうございました!

次は桂浜水族館でお待ちしていますよー――――!

あら!まじめな締めになっちゃった!!

初出張でモチベーション爆上がり中のひかるんがお伝えしました!

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック➁天丼」 スタッフМ

小学生時代、昭和30年代の頃、外食をすることや店屋物をとることはほとんどありませんでした。家族が多かったことでおでんやすき焼き、天ぷらなどがよく食卓に上がっていました。天丼という名称は知っていましたが、じゃがいもや玉ネギ、人参などの天ぷらを乗せたものかなという認識でしかなく、あまりおいしそうではないというイメージでした。ところが、前回の鰻丼同様、出前が届いたのです。この天丼は短冊のイカの天ぷらが2本乗っていたもので、これまで抱いていた天丼をくつがえす美味しさでした。天丼とはこれだとすっかり思いこんでいましたが、後にエビ天が乗ったものが主流だと知り、さらにかき揚げ天丼やらいろいろな具材を使った天丼を知ることになり、私のような無知もいいものだと思い、今あることを幸せと思う次第でありますよ。

私の昭和、平成、そして令和「食べ物カルチャーショック➀うな丼」スタッフМ

シリーズで紹介させていただいていましたが、次なる大作…?の前にちょっと息抜き、というわけで何ともしょうもないことを数回、はさませてもらいたいと思います。(前回サボりよったじゃいかぷっくっくな顔

保育園の頃か、小学校に上がっていた頃か定かではありませんが、私と弟は祖母にみてもらっていました。ある時、祖母が諸用で外出することになり、近所のおばさんが家に来て、みてくれることになりました。その日の昼、出前が届いたのです。昼食にいただいたのですが、これがこの上なく美味しい物で、子ども心に覚えた、まさにカルチャーショックでした。今でも、うな丼を食べると鮮烈にこのことがよみがえります。

こんな食べ物にまつわる思い出、まだいくつかあるので、紹介させてもらいたいと思います。今、しばらくいやしんぼにお付き合いのほどを…

私の昭和、平成、そして令和「ほいとと開運橋」 スタッフМ

生粋の土佐人ではないため、古い時代の高知のことは知りませんが、所変われど何か共通したものがあるかと思います。盆、正月や春、夏、秋、冬休みなど母方の祖母の家に行くことを楽しみにしていました。祖母宅の近くには阪内川というきれいな川が流れていました。暖かい時期にはよく川で遊びました。この川には開運橋という木造の端が架かっていて、後に市内バスが運行するようになり、この橋を通るとギシギシときしみ音がしていました。さて、この橋の下には男の人が1人住んでいました。高知ではほいとといいますが、辞書にもあるので一般的な言葉でしょうか。当時は橋の下の住人は珍しいことではなかったようです。私は特にこのほいとさんとかかわることはなかったのですが、覚えているのはヘビを捕まえて食べていたということで、「精がつきますんさ」と言っていたことを、祖母や同居していた叔母から聞かされていました。いつの間にかほいとさんはいなくなり、阪内川も改修され、無機質な感じとなっていました。

ショータイムやぁ~めた!! ~館長~

今月6月。
私たち桂浜水族館は、ショーの廃止を決めた。

コロナ禍において、ソーシャルディスタンスの必要性でショーを中止していた。
本当にコロナは様々なことを変えた。
戦後初めての休館中にいろんなことを私たちに教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハマスイにショータイムは無くてもいい。
以前から、私たちはスイゾクの体調が悪かったり、
その気にならなければショーの内容をその場で変更してきた。
もちろん急遽中止にすることもあった。
体調がすぐれないだけではなく、スイゾクが「たのしいぃ~!」と
思えないショータイムはスタッフも苦痛なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

当館のショー廃止は、動物福祉の観点からだけではない。
私たちのいう「いきもの」とは、スタッフも入っている。
働き方についても、このショータイム廃止は大きい。
ショータイムがあれば、決まった時間に必ずショーをしなければならない。
お客様サービスとして告知をしているならば
その時間に実施しなければならないのだ。
「いきもの」にとって、これがいちばんやっかいなところだ。
もともと、給餌の時間がショータイムではあるが、
「いきもの」である、スイゾクもスタッフも毎日毎日その通りにはならないことだってある。

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍でショー中止をしたら、「いきもの」はいきいきしたように感じた。
スタッフも時間の余裕が出て、スイゾクの観察をよくするようになった。
健康状態を知るうえで必要なトレーニング(ハズバンダリー)の種類を増やした。
スイゾクの能力を知る遊びを考え増やすことも積極的に始めた。
そのため、スイゾクの健康維持もよくできるようになったし、遊び時間も増えた。
当館の「いきもの」スイゾクもスタッフも、
彼らの楽しそうな顔。すっかり顔つきが違ってきた。
みんなに、ここハマスイで働くことが楽しいと思ってほしい。
スイゾクたちもハマスイで長生き出来て、多くのファンの方に愛してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショータイムが無くなるとどう楽しむの?といわれるかもしれないが、
ハマスイは他にないゼロ距離で「いきもの」と楽しめる水族館だ。
時には、アシカやトドが館内を歩いている。
スタッフが休憩時間にアシカと一緒に寝ているのを館内で見ることがある。

館内には、クスっと笑えることや、えっ?と驚くことが多々ある。
いつ来てもいつもどおり楽しんでいただけるはずだ。

 

 

 

 

 

枠にはまらないハマスイ。
なんか変わるで 桂浜水族館!
毎日が楽しく笑顔いっぱいの職場、水族館となり
お客様にも笑顔の想い出づくりがたくさんできるような環境づくりに
尽力しようと思う。

私の昭和、平成、そして令和「カニさんの受難②」  スタッフM

結婚して現在の居住地である土佐市に住むようになると、勤務先の桂浜水族館からの帰り道にも群れをなして仁淀川めざして道路を横断するカニが出現。つぶさないよう気を付けて車を走らせましたが、朝の出勤時には無残にもつぶされたカニの死骸がいたるところに見られ、心が痛む思いでした。

これが原因なのかどうかは定かではありませんが(一因となっているのはたしかでしょう)、近頃めっきりカニの姿が減ってしまいました。カニの種類はアカテガニ、ベンケイガニ、クロベンケイガニなどで、特にアカテガニは海岸や川沿いの崖を登り、穴にかくれて生活しています。繁殖期には大群で水際に移動し、水に入って放卵します。道路を横切ってい移動する際に車に轢かれてしまうのです。道路の下にカニの通り道となるようなトンネルを設けるなどして、対策を講じてみてはとある人に話したこともありましたが…。

カニさんだけではないのかもしれませんが、受難が続いています。  おわり