私の昭和、平成、そして令和「悪りことしの記➁」スタッフМ

氷山の一角のうちの一つ、私から冬にかけて稲刈りがすんで水のなくなった田んぼで、土の中に潜んでいるケラをつかまえたりしてよく遊んでいました。そこに稲わらを束にして積み上げて先のとがった円柱形のものが作られていました。高知ではわらぐろというらしいのですが、私たちの地域ではすすきぼっくりと呼んでいたようです。これは格好の遊び道具で、お百姓さんが一生懸命積み上げたものからわら束をひっこぬいて遊んでいました。これが続いたため、ついにお百姓さんに見つかり御用となったわけですが、私があきれるほど悪気もなく、ペラペラとどこの学校の何年生ということをしゃべったため、すぐに学校に苦情が入ったのです。翌日の朝礼で父が進行係に当たっていて、このことを全校生徒の前で話し、注意をうながしたのですが、この時は犯人が誰か伝わっていませんでした。主犯格が発覚し、啞然としたのはいうまでもありません。捕まえてみれば我が子なり(父の言葉)。穴があったら入りたいとはまさにこのことでしょう。松阪に帰省した際、今は亡き父がいつも語り草に、呑べえ揃いの父母や私の弟たちの酒の肴にしていました。  つづく

私の昭和、平成、そして令和「悪りことしの記①」スタッフM

私が子供の頃通っていた三重県松阪市立第二小学校,大先輩にバタやんこと歌手の田畑義夫さんがいます。「オーッス!」

私の両親はともに小学校の教員で、家は第二小の敷地内の教職員住宅でした。条件として父母のどちらかが第二小の教員であるということで、私が低学年の頃は父が、その後母が入れ替わりに異動、そしてまた父が再び教頭としてまたまた入れ替わり赴任してきました。私はとにかく悪さをして、物置場の天井に入り込み天井板を踏み破って、職員室に立たされ、母に恥をかかせたり、音楽の時間に下品な替え歌をコーラスして女性の先生を困らせ、担任の男性の先生からビンタをもらったり、マッチで傘立てのこうもり傘に火をつけて骨だけにしてみたり(今なら警察沙汰…!)と今思うとゾッとするようなことをしていました。氷山の一角。  つづく。

次回は極めつけを白状。乞御期待!…にやよーばんもうやだ〜 (悲しい顔)

メ異とボク 第42話 スタッフ・ひな

皆様こんにちは。初の出張で先週から汗その他が止まらない私です。

え~、ご存知の方もいるのではないでしょうか。今月の26、27日の2日間

神戸と大阪にお邪魔させていただきます。色々初めてという事もありますので

現地ではよろしくお願いします。

挨拶もほどほどに、約二週間振りの「メ異とボク」シリーズ始まります。

 

 

 

 

 

 

え~、サムネイルからすでにメンダコくんが立体っぽくて軽く酔った方もいるのでは?

メンダコ「うぎぃ~・・・ちょっと酔ったんだけど・・・」

今回の話、サムネイル同様に目を凝らして見すぎると、軽く目が回ります。

実は先日ある雑貨屋さんに行った時、面白いペンを見つけて買ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2本のインクが1本になっている「ツインク」というペン。

傾け具合で単色でも書けるし、2本線を1度で引ける、工夫次第で色んな書き方ができて面白かったです!

というわけで今回はこちらのペンを使用してメ異とボクシリーズ描いてみました!

 

タイトル『ペンで遊ぶメ異とボク』

 

 

 

 

 

 

 

 

メンダコ「うぎぃぎぎ・・・今度は完全に目が回ったよ・・・」

今回は遊び心でこのペンで描いてみましたが、次回からはいつものペンで描いていきますー

 

私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう(番外編)」  スタッフM

腰痛に見舞われた時、当時の館長の奥さんに知り合いの祈祷師(霊能者)のような人のところへ連れて行ってもらい、ご先祖様の墓参りはしなければと思っただけで治ってしまったということを書きましたが、その時の話。

先生が私の背中に手を当てると、上向きにかざした私の手の指先から湯気のようなものがポッポッと出るということです。館長の奥さんは驚いて「たいちゃー出るねー」。私には何も見えません。

後日、連絡があり、ご先祖様か背後霊が何らかに影響しているとのこと、高知にご先祖様があることを話してはいませんでした。ともあれ、腰痛は治ったのでした。

その後、忘れるほどの年月を経て、墓参りを実現させたのですが、さらに時を経て、大分県の大学に在学していた息子が就活のために帰ってきたので、なかば強制的に墓参りに同行させました。すると、いろいろやっていた就活の中で、地元土佐市で内定をもらい、現在に至っています。これもおみちびきなのでしょうか?

私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今ここにいるのだろう?⑥」  スタッフM

上京の際、祖母の妹たちのもとに立ち寄ると、いろいろな話を聞かされたのですが、歴史や文化にあまり関心がなく、どちらかというと理系かなーといった感じの私には、馬耳東風、申し訳ない話でした。それでも掛軸を手にして恐れ入ってしまいました。三宅、山崎のおばさんも亡くなり、掛軸が残るのみですが、家系図を調べたりするわが娘や、墓参りを強く進めた同僚の女性、高知大学に導いた友人、桂浜水族館への就職のきっかけとなった別の友人たちの存在は私にとって何だったのだろうかと思うと、何か超自然的なものを感じ得ずにいられません。

私の祖母がなぜ三重県の松阪なのか、詳細はよく知りませんが、久元の孫にあたる久敬(土方与志)の左翼活動が大きく影響していた事実があります。これにより、土方家は爵位返上と華族除名の厳罰を課せられたといいます。祖母の弟の久武は出家、一族の因果を仏のもとにおさめようとしたのです。久武は玄味さんという坊さんで、私たちは「原(静岡県)のおじさん」と呼んでいました。松阪にも時々来て、小さい頃の私や弟に本や菓子などを買ってくれました。耳の穴から毛の束がはえていたかわった風貌の人だったことを覚えています。

いろいろ書き連ねてきましたが、紛れもなく私はご先祖様ゆかりの土佐にいるのです。土方家のキーワードは「久」。そういえば東京のおじさん(父の兄)は丸林久信で、しっかり「久」がついています。映画監督やテレビのプロデューサーをしていて、おばさん(泰子)の弟は何と、今も現役の森本毅郎氏です。

伯父(久信)も伯母(泰子)も玄味さん(久武)も他界しました。

千田稔著『明治・大正・昭和華族事件禄』(新潮文庫)には「赤い伯爵」の左翼演劇活動として詳しく記されています。  終わり

私の昭和、平成、そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう?⑤」 スタッフM

掛軸をもらう際、「貴男は直系ですもの」と言われ、ノー天気な私は伯爵がご先祖様とすっかり思い込んでいました。ところが当時兵庫県の宝塚市にいた私の娘が土方家の系図を調べて写メしてきたのです。よく見ると歴然。私は久元伯爵の直系ではなく、その弟である久規の筋でした。三重県松阪市在住の私の父(故人)に問い合わせると久規は若くして死亡したため4人の子、安亀、久武、福、八千子を久元に託したとのこと。長女安亀が私の祖母です。

4人は東京小石川林町というところの久元の別邸に引き取られたのです。このことは私が祖母の妹、福(三宅)千代子(山崎)から聞いた話で、2人は東京の下北沢に住んでいて、私が学生時代、上京する機会があれば訪問していました。祖母は私が小学5年生の時亡くなり、2人の妹たちに祖母の面影を見たからでした。

小石川の別邸はそれこそ大邸宅で、長女安亀と妹2人とは身分に大きく隔たりがあり、安亀はお姫様のごとく優遇され、福と八千子は離れ住まいだった由。夜になると安亀が振袖姿でしゃなりしゃなりと、妹たちの離れに残り物のお菓子をたずさえて通ってきたとのこと。私を育ててくれたおばあさんの若き日。そういえば私の子供の頃の祖母は着物姿が多かったように記憶しています。

次回はいよいよ完結編。ファミリー・ヒストリー!(またや´□`)

可愛い意識 時々カッコよさ意識 スタッフ・ひな

皆様こんにちは。先日写真を撮る前に髪を整えたはずなのに浜からの風で約1分後には元の髪型に戻っていた私です。

今回はメ異とボクシリーズではなく、絵柄の話です。

 

 

 

 

 

 

 

私はイラストを描くときは、主に可愛い(モチっとした感じ?)意識して描いております。

ただ時には、館内でのPOPといった掲載物を作成する際、

この掲載物に可愛い絵柄で描くのはちょっとちがうのでは?と思う時があり

初めて、可愛いからカッコいいを意識した絵柄で描いたのが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

甲羅から髪の毛のような苔が生えていた時の「カミツキガメ」

(実際ここまでモサモサじゃなかったですけど気持ち多めに)

 

 

 

 

 

 

 

ポストカード用に描いた「太刀魚」

(個人的にイケメン魚なので思い入れ強)

 

 

 

 

 

 

 

 

スピードくじ用に描いた「カピバラ」

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の干支用に極力カッコよさを意識して描いた「トラ」

 

 

 

 

 

 

 

スピードくじ用に描いた「アカメ」

等など・・・・カッコよさを意識して描いたイラスト・・・

いつもの可愛い意識のイラストよりもんのすごく時間かかります!!

館内や売店でこれら一部のイラストを使用しているPOPがあると思いますので、

気分等で探してみてくださいね~

私の昭和、平成そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう?④」  スタッフM

かくして、例の女性が付き添い人となり、尻を叩かれるようにして墓参りが実現。水と線香だけ持って行ったざっとした墓参りでありました。

ところで、私のご先祖様、高知に落ち着くまでは知る由もなかったのですが、幕末に坂本龍馬とも親交のあった土方久元伯爵でした。譲り受けた掛軸のうち1本は同じもの(字の配列が微妙に違う)が佐川の青山文庫にあり、私の父がカメラにおさめています。また、久元の書の石碑が桂浜にあるばかりか、私の娘と息子が通っていた土佐市立高岡第一小学校の校庭の片隅に建てられていました。久元の墓は北秦泉寺のそこにはなく、土方家代々の墓とお世話されている関川家代々の墓が今も並んで建っています。

私が今、土佐の高知にいるのは何かの縁(おみちびき)か?

次回はこれの若干の軌道修正と東京で聞かされた祖母土方安亀の話、ファミリーヒストリー!!  つづく

私の昭和、平成、そして令和「私はなぜ今、ここにいるのだろう?③」スタッフM

そうこうするうちに上京する機会を得て、祖母の妹を訪ねて行きました。するとご先祖の書の掛け軸を3本もらうことに。ぜひ土佐に持ち帰ってもらいたい、自宅に置くなり、博物館に寄贈するなり、自由にしてもらってよい由

そこで思い立って墓参りと思ったところ、場所はうろ覚えで道順もわからなくなっている始末でした。それでも何とかさがし当て、近くまでたどりついたものの、山道に入ってわからなくなって引き返し、日を変えて2度ほど接近を試みたのですが臆病な私は暗い山道が心細く挫折。

さらに年月が経ち、この話を職場の同僚の女性(私より20歳ほど若い)にしたところ、絶対お参りに行くべきだと説教され、ついて行くとまで言うのです。成人して県外に出ている私の娘からも同様なことを言われてしまい、腹をくくることに相成った次第。下見に行くとすっかり様変わりしていて、暗い山道を通り、やっと発見したのですが、周囲のうっそうとした木々は伐られ、こじんまりとした台地の墓石が立ち並んでいました。暗くて怖いようには感じられず、しかも下に降りる道がついていて20~30mほど坂を登れば着くのでありました。私の正体、なかなか出ませんが次はなんとか…。   つづく

メ異とボク 第41話 スタッフ・ひな

皆様こんにちは!まだまだ魚の描き分けには程遠いなと思う私です。

いや、魚だけでないか・・・ですがあきらめず描いてゆく!!

さてそんな気持ちで今日も始まります「メ異とボク」シリーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

以前話したことがあるかもしれませんが、実はメンダコくんの好きな食べ物。

私メ異はいつも甘えびを意識した桃色のエビを描いているのですが、

実際は「ヨコエビ」という小型甲殻類。名前にエビが入っているのですが

エビの仲間というより「ダンゴムシ」や「フナムシ」に近い仲間でエビと体のつくりが違い彼らに近い形をしています。

え?じゃあなんで「ヨコエビ」じゃなくて「エビ」描いてるの?というと・・・

 

 

タイトル『ヨコエビとボク』

 

 

 

 

 

 

 

 

えー、私の画力不足のため「ヨコエビ」を描くと「ノミ」のようになってしまうため

「エビ」を描いております。(描いて全身がゾワゾワしました)

ですがいつかリベンジしたく思います。とりあえず今はエビでよろしくお願いします!